ミカエル 泉 雄生 神父 ご紹介

                              1977年5月25日生まれ

                         2017年3月20日司祭叙階

習志野教会出身で、3月20日の叙階式で、司祭になられた泉神父様の人となりを、東京教区ニュース(5月1日号)教区司祭紹介コーナーの掲載記事から、ご紹介いたします。

 

Q:ご出身は?

A:生まれたのは、札幌市です。母の実家が札幌でしたので、そこで生まれ、すぐに長崎市に移り、そこで育ちました。父は転勤族でしたので、3才の時、調布市に、10才の時には、千葉県の佐倉市に引っ越し、すぐに、中東のバーレーンに移り住み、14才の時に帰国しました。

Q:子供の頃の思い出は?
A:引っ越しが多かったこともあり、その都度、人間関係を築き直さなければならなかったことを思い出します。幸い、友人たちに恵まれたこともあり、つらい思いをしたことはありませんでしたが。
Q:高校からは落ち着かれたわけですね?
A:引っ越しについてはそうなのですが、実は、大学受験を5回失敗することになるのです。母方の祖父が医者だったこともあり、人の役に立つ生き方にも憧れていたので、小児科の医者を目指しました。家庭の状況を考えると、国立大学の医学部しか入学の可能性がないので、チャレンジし続けるしかありませんでした。気がつくと5浪です。今、振り返るともっと早く決断すればとも思うわけですが、当時は何とか合格することしか考えていませんでした。

Q:気がついた後の対応は?

A:浪人中は、やりきれない思いの中で過ごしているわけです。洗礼は、長崎の城山教会で受けていましたが、教会からは離れた日々でした。入試を4回、5回と失敗するうちに、教会に行く必要を心の中で感じるようになっていました。自分で調べて、一番近い教会は、当時の船橋教会であることがわかり、連絡しました。主任司祭であった辻茂神父は、「いつでも来たらいいよ」と言ってくれました。
いろいろ調べると、信徒籍は城山教会にあり、当然のことながら堅信の秘跡を受けていないことがわかったので、船橋教会に司牧実習に来ていた神学生が、マンツーマンで堅信の準備を担当してくれました。神学生との出会いを通して、司祭を目指す生き方もあるということがわかりました。
Q:それが司祭召命につながるのですか?
A:辻神父に相談したら、「大学を卒業してからでも遅くないし、まずは、教会生活の体験が必要だよ」とアドバイスされて、哲学を学ぶために大学に入学しました。
ここから大学受験と同じような道をたどることになるのですが、大学、大学院と進み、ふと気がつくと10年が過ぎていました。家庭教師のバイトで学費の一部を稼ぐようにはしていましたし、教会では中高生会のリーダーを続けていましたが、あらためて自分が目指すものは何かと、問い直し、神学校に行くことを決めました。
Q:神学校の思い出は?

A:神学校に入学する準備をしていた矢先の3月11日、東日本大震災が発生しました。当時、徳田教会に滞在中でした。主任司祭の大倉神父と、教会の中庭の池の水が地震の揺れで波打ち、あふれる場面を見つめている光景を印象的に思い起こします。
そんな中での神学校入学でしたので、いろいろな意味で、大震災の影響を引きずっての神学校の生活でした。
神学校に入学した年の夏休みには、初年度養成のプログラムとして、カリタスの釜石ベースに滞在し、写真洗浄の作業に関わりました。結婚式の写真、赤ちゃんの写真など、家族の喜びの場面と震災の現実がクロスして、本当にきつい作業でした。そこに写っている人が生きているのか、亡くなっているのかもわからずに、ひたすらに写真の再生に取り組むことは、精神面に参りそうになりました。

Q:キリスト教の魅力を、どこに感じますか?

A:十字架と復活がセットになって、救いにつながることをキリスト者は大切にします。復活を通して十字架の意味を明らかにされる、苦しみに意味を見だすことをイエスから学ぼうとするわけです。
大学院時代、中世哲学が専攻でした。当時の教父、神学者たちは、神あるいは教会の教えの理解や提示のために忍耐強く取り組んでいった人たちでした。そのような姿勢は、傲慢にもつながりかねないものと言うことができるかもしれません。しかしそれを踏まえた上で、なおかつ信じているものに少しでも近づきたいという姿を私たちに示しています。そんな信仰の先達に少しでも近づければと思います。
Q:好きな聖書の言葉は?
A:叙階記念のカードの言葉ですが、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)